夏の魅力とはなんだろうか。
外に出て自然と戯れ思いっきり太陽光を浴びること、遠出をして見たことのない景色を見ること、夜に薄着のまま社交場でお酒や会話を楽しむこと、普段は読まない本を読んだり芸術に触れること – 夏はありとあらゆることが大きくも小さくも冒険になり、夏特有の煌めきを放つ。
ほかの季節にはあまり使わないのに、「ひと夏の〇〇」という言い方があるのは、夏がやはりそのままにして特別で、人生を変えてしまうくらい濃密な時間になりうるからかもしれない。
それぞれ理由は様々でありながら、夏に観たくなる映画たちの共通点は、きっとそんな濃密さや煌めきを放っている映画たち。例えそれが世紀の大冒険じゃなくたって、自分に火照りを残した夏の時間を、これから起こりうる小さな夏の煌めきを、夏の怪奇的な危うさを、思い起こす映画6作を紹介したい。
- ファルコン・レイク/シャルロット・ル・ボン
- レッド・ロケット / ショーン・ベイカー
- ヘカテ/ダニエル・シュミット
- セイント・フランシス / アレックス・トンプソン
- SOMEWHERE/ソフィア・コッポラ
- あの夏の子供たち/ ミア・ハンセン=ラブ
ファルコン・レイク/シャルロット・ル・ボン
(より映画の雰囲気に近いため英語予告)
「10代の繊細さ」、言葉にすると陳腐だが、10代の嫉妬や憧れや好奇心ほど危ういものはない。言葉にも自分の身体にも収まりきらない感情が、生/性と死の境界線をゆうに飛び越え、夏の思い出を永遠に身体に刻まれる傷にする。

レッド・ロケット / ショーン・ベイカー
テキサスの夏の日差し、カラッとさ。状況が悲惨でも、湿ることがないので決して腐らない。夏の乾いた風は、腐らない生命力だけがそこにあることを感じさせてくれる。

罪悪感や同情というのは偽善者の持ち物であり、「人生は辛いもの」なんていうのは押し付けられたプロパガンダ、目指すものがあれば全裸(本当に)で走り、「人生は甘くて素晴らしい」と開き直る単純さこそ、現代社会に実は必要なのではと最低の主人公が教えてくれる。
ヘカテ/ダニエル・シュミット
夏の夜は最も妖麗で、その月明かりは人間の肌を、その先を探究したくてたまらない異国にする。例えそれが迷宮で終わりがないものだとしても、一度足を踏み入れたら掴み取るまで抜け出せない(抜け出す気もない)、その狂気の当事者にならずして人間の欲望は語れない。

セイント・フランシス / アレックス・トンプソン
6歳と34歳の夏休みが重なったとき、そこには何が見えるか。
2020年代。一見選択肢が広がったように見える世界は新たな不安定さをうみ続け、そこに生きる生身の大人にとって生きるとは訳が分からないことだらけであるのは変わらない。そして、子どもはいつも天使でもなんでもなく、時に憎たらしく傷つくことも言ってくるようなひとりの人間であることも変わらない。
自分はかつて選んでいないけれど生まれてきた、目の前の他人の子も選んでいないけど生まれてきた、という点も人間である限り変わることはないが、その子にどんな世界を渡せるかは我々にかかっていると、大人が腹を括ったとき、そこには変わりえる未来が見えるのだと思う。

6歳と34歳の夏休みがこの映画で重なったとき、そこには希望が見えた。
SOMEWHERE/ソフィア・コッポラ
淀みの中で救いとなるのは何か大きい出来事ではなく、ふとした時に横顔をなでていった風だったり、木漏れ日ほどの繊細な光だったりする。
夜にベッドの上で誰かとこっそり食べるアイスクリームだったり、一緒に朝ごはんを食べながら話すたわいもない会話だったりする。

夏のLAの中で、透き通った涼しい風を心に通してくれる、稀有な時間を描いた映画。
あの夏の子供たち/ ミア・ハンセン=ラブ
夏が終わっても人生は続いていく。
何か大きな感情を経て、その感情をかかえたまま生きること。夏の終わりの涙を強調も否定もせず、「すべてのものは動きや流れの中にある」ことだけを希望とし、存在を受けとめて未来へと送りだしてくれる、傑作映画。


