”ひょっとして、ずっとシングルかもしれない”
SNSやアプリ、出会いのスピードに圧倒され、「まだ運命の人に出会えていない」=「もう出会えない」「ずっとシングル」と考えたことがある人はどれくらいいるだろう?
結婚やパートナーがいることが人生の全てではないし、むしろ、一人の方が好きな時間に好きなタイミングで、誰からも干渉されることなく、好きに過ごせる。だけど、人生の経験として恋愛してみたい気持ちはわかるし、どこかに「運命の人」がいるのではないか、と思ってしまう気持ちもとてもわかる。

映画『500日のサマー』(ちょっと呪われた作品だけど、それはさておき)のラストシーンに、こんな場面がある。ずっと「彼氏」という関係を持たず、感情をなかなか開かなかったサマーが、ある日突然誰かと結婚する。公園のベンチで、元恋人に彼女はこう言う ― 「ある朝目覚めて、“分かった”の」 ― それが、別れの説明としてはあまりに非情でも。
「この人が私の運命の人だ」なんて出会い、あるのだろうか?
実際、化学反応や人生のタイミング、相性といった複数の要素が重なって、まるで歯車がぴたりと噛み合い、「運命の人」と出会えることもあるかもしれない。もしくは、ただ、その関係がうまくいったから、後から「あの時わかっていた」ように感じているだけ ── もしあなたがロマンチックな夢想家なら、なおさらそう思いやすい。
考えてみてほしい。これまでに何度、「この人、運命かも…」って、デート中にふと思ったことがあったか。

たとえば、1回目のデートで話が盛り上がり、さりげないボディタッチで、「うわ、ソウルメイトかも!」とドキドキする。でも、その後3回目のデートで急に音信不通になったり、実はその人が『ミセス・ブラウンの少年たち』にどハマりしていたり(※訳注:英国の低俗コメディ番組)、あるいはサンドイッチにマヨネーズをかけすぎてるのを見て急に冷めたり。
そして気づく。
「あのときの“ビビッと感”は、完全に勘違いだったな」って。ただ単に惹かれていただけで、頭の中で勝手にドラマを作っていただけだった、と。
「運命の人」は時間を経て気付くものでもある
「出会った瞬間に“わかる”こともある」── そういうとき、私たちは長期的な関係がどれだけ努力を要するかを、かなり都合よく忘れてしまっている。たしかに、最初から相手に夢中になることはある。けれどその後には、こんな現実が待っている:出会って3〜6ヶ月ほどでやってくる“主導権争い”の時期、コミュニケーションが途切れる瞬間、一緒に暮らし、愛し合っていても、それをうまく表現できない日々…。
たとえ「この人だ」と思える相手に出会っても、お互いにしっくりくる関係になるまでには何年もかかることがある。それに、もしあなたが「この人だ」と思っても、相手が同じように思っていなかったらどうする?そういう場合だって当然ある。
人は「これを運命」と思うとき、しばしばそれを「感じる」ものとして語るけれど、本当はそれを時間と経験と共に「決める」ことであるかもしれない。

仕事に遅れそうで駅まで走っていてぶつかりそうになった相手と連絡先交換..なんていう少女漫画的シナリオが現実世界で味わえたらいいな、ともちろん考える。が、その一方で、これから遭遇するであろう「小さなチャンス」に一度身を任せてみるのもアリなのかもしれない。
「運命の人」が本当にいるかどうか、本当のところ誰一人わからない。人生で起きることは予測不可能だし、衝撃的で、カオスで。時には人生の中で起きたことに(やや無理矢理)意味を持たせようとするし、それにしがみつきながら、「これだ。これが私の人生」と思うことがあってもいいのかもしれない。
Original: VOGUE “How Can You Actually Tell When You’ve Met “The One”?” by Daisy Jones, published on March 2 2023 (https://www.vogue.co.uk/arts-and-lifestyle/article/meeting-the-one)

